社員インタビューNo.3

現在、ユーザーソリューショングループで静電気対策製品全般の業務に関わっているMさん。
もともと人に頼られやすい部分があったとのことですが、それは入社して以降も変わらない様子。
頼られるたびにアイデアを出して販促活動を行ったり、製品企画もしたり。
飄々とした語り口の中で、仕事に新たな風を呼び込んできた11年が見えてきました。

登場人物

Mさん(以下:M):ユーザーソリューショングループ所属。入社11年目。
インタビュアー(以下:K):マーケティンググループ所属。入社2年目。
Nマネージャー(以下:N):マーケティンググループ所属。入社24年目。

入社直後

──まずは入社から現在までに関わってきたお仕事について伺えたらと思います。

M

3ヶ月の研修期間を終えた後、初めの1年間は本社(大阪)で営業をしていました。

N

1人で営業に出始めるまではどうだった? 誰か先輩と一緒に行ったりとか。

M

先輩と一緒に行く期間は1ヶ月ほどあったんですが、その間丸々同行してもらうとかではなくて、何回か行ったらもう1人で営業に行くようになってましたね。

N

それは最近でも変わらない部分やね。独り立ちが割と早い。

──外勤を初めてすぐの頃はどんな様子でしたか?

M

そうですね、初めの頃からユーザーや販売店の区別なく営業に出ていました。ただ、1年目なんて何もわからないので、チラシに書いてある製品の内容を勉強して、出先で「こんなチラシ出たんですけど要りますか?」とか声をかけてくるような、正直誰にでもできる仕事をしていました。出先で質問されたりして、答えられなければ持ち帰って…みたいなのを丸1年。

東京への異動・変化した営業の形

──その1年が過ぎた後というのは…?

M

2年目の7月に東京への異動が決まりました。

K

もう異動…!当時の東京営業所はどんなメンバーだったんでしょうか?

M

そうですね、50代のベテラン3人に、僕1人23歳です。

K

すごい年齢差!

──東京でのお仕事の方はいかがでしたか?

M

そうですね、異動してすぐに東京の所長から「大阪におったときのことは全部忘れてもらってええから」と言われたのは覚えています。「1年大阪でいろいろやってきたと思うけど、一回それを全部忘れて、またイチから勉強する感じでええよ」って。そう言われてみると、果たして大阪でやってきた営業活動は果たして自分の身になってたのか?っていう疑問があった。大阪では出先でいろんな情報を聞いたりしましたけど、勤務地が変わってしまった状態ではその情報は役に立たない。だったらもう割り切って、ここで新人としてやらせてもらいます!という感じでした。

──「今までのこと全部忘れてくれていいよ」って、人によってはネガティブに捉えてしまいそうですが、そんなことはなかったですか?

M

うーん、東京と大阪とで仕事内容に繋がりがあるならまだしも、ほとんどなかったからね。 寧ろ、僕としては「忘れていいよ」って言ってもらえたのは気が楽だった。 大阪にいた頃はお客さんに「部数どれくらい要りますか」って聞いて、言われたとおりにその部数でカタログを渡すということをしてて。 僕としては、そのやり取りに意味を感じなかったし、もっと言えば時間の無駄じゃないんかなあとかも思ったりして。 それをすっぱり忘れていいってことだったから、ポジティブな受け止め方だったかな。

K

なるほど…。1年目の間でも、すでに働き方に対して思うところがあったんですね。

──東京と大阪とで、働き方に違いはありましたか?

M

ありましたね。大阪にいてたときはこっちからどんどん出向いていくっていうのが主だったんやけど、東京ではお客さんや販売店さんに呼ばれてから行く、というパターンが多かった。 その中で面白そうな案件があれば「Mくん行ってみ」って声かけてもらったり、上司についていったり。

K

大阪の頃とは真逆のスタンスだったんですね。

M

そうそう。さっきも言った通り、ベテラン3名が東京にはいたけど、3名とも営業のやり方が全く違う。 僕としては、いいなと思ったやり方はそのまま盗んだり、逆に反面教師にしたり。何もわかってないのは僕一人だけで、 質問すれば答えてくれる人が必ずいるっていうのは、大阪にいるときより何倍も得してるなって思った。 Kさんもさ、周りの子がどんどん上司に質問するから、自分が聞かれへんみたいなことあったりするやろ?

K

正直あります(笑)

M

僕としては東京で働くのも得やなって感じることもあったけど、逆に同じ質問をしてもベテラン3人それぞれで答える内容が違ってたりすることがあって、そこの判断は難しかったなと思う。 やっぱり各々自分の考えを持ってるから。

──そんな環境の中で、成長できる部分もあったのではないでしょうか。

M

そうですね。僕は大阪でカタログの部数を聞きに行ったりするのを「意味あるんかなあ」って思ってたけど、東京では、例えば展示会をしようとか、勉強会をしようとか。 あとは、セミナーをやらせてくれるところに出向いて講師をしたりとか。 ちょっと営業としてのレベルが上がった感じがしたかな。 カタログやチラシをどうのこうのしてた頃よりは、ホーザンだからこその仕事ができるようになったかなと。

──今は静電気対策(ESD対策)の仕事を主に担当されていますが、この頃から機会が増えてきたのでしょうか?

M

そうですね、実質、北関東から東北は全部僕が担当でした。 自分が担当していないエリアでも、ESD対策の話があれば僕が行くっていう形ができてたんですよ。 東日本の9割くらいのESD対策は僕が担当してたから、基板を扱う工場へはかなりの数訪問したよ。

ユーザーの生の声を活かした製品

──製品企画もされていたと伺っています。

M

東京で最初から最後まで製品を作ることはなかったけど、僕の方でユーザーの意見を反映させる形で案を出して、大阪で開発部署の方がその案を形にしてくれたことがあります。 「こんな商品できませんかね?」っていうコンセプトを伝えるところというか。

K

なるほど。

M

他にも、上司から「製品企画して!」っていう指示があったときに、先輩から「Mくんどうしよう」って声かけられたりして。そこから、「こういう商品はどうですかね…」って提案したり。

K

すごい、めっちゃ頼られてる。

M

そういう商品を考えるきっかけみたいなのがあったときに、「何かできひんかな」と考えてみて、試供品のキャンペーンなんかをやったりもしました。 代理店や販売店にチラシを配って、好きな商品を20点ぐらい選んでもらって、無料で貸し出す、みたいな。 それをきっかけにユーザーのところへ訪問して、いろいろ話を聞いたり。まあ、成功か失敗かは分かりませんけどね。

──でも、そういう挑戦がまた新製品に繋がっていくと。

M

そうやね。 こうして思い返してみると、自発的に「これをやりたいです!」って主張するより、 「これやってよ!」っていう指示に対して「じゃあこんなんどうですか」という形でアイデアを出すことが多かったかも。 日々営業に行ってお客さんの声は聞いてるから、新製品の「種」みたいなものは自分の中にあるけど、その芽は人から声をかけられて初めて出てくる、みたいな。

できることの幅

──現在のMさんはユーザーソリューショングループで、静電気対策全般の業務に携わっていらっしゃいます。 主に外勤をしていた頃と今とで、何か変わった点はありますか?

M

まず、関わる業務の幅はすごく広がったなと感じます。 「静電気対策品としてこんなものを作ると良いだろう」って考えは営業時代にたくさん蓄積してきたんで、今度はそれを製品として形にする方法を覚えましたね。

N

Mくんの中で明確に分かってた「ホーザンにはこれが足りない」って部分を、そのまま補っていきますって感じやね。

M

そうです。営業時代はお客さんから「こんなんないの?」って聞かれて、それに対して「ないですね」って答えるところで止まってたんですよね。

──経験を形にできる状態になって、手応えを感じた部分はありますか?

M

今の僕って、製品も作るし、コンテンツの原稿も書くし、新しいサービスを考えたりもするし。 WEBからの問い合わせも静電気関連は全部自分で受け続けてるんで、もうここ(静電気関連)に関しては自分が社内で一番分かってるなって自負があります。

N

その自分にしかできひんことを、WEBサイトに掲載することで、こっちから訪問するまでもなく、いつでもお客さんに見てもらえる状態にしていってるよね。

M

本来なら電話なり対面なり、僕が延々喋り続けて説明せなあかんことを、WEBページに落とし込んだらそれで済む。 その上で実際に来る問い合わせの内容っていうのは、WEBを見ても解決しないくらいレベルの高い内容になるから、それをまたWEBに落とし込んで。

N

そうやってグルグルとハイレベルな方向に循環させていってんねんな。 それだけでは解決できひんってなったら新製品が必要になるだろうけど、今のMくんはそれも自分でできるし。

M

そうですね。どんなアングルでアイデアが出てきても、それを形にできる体制が今は整っている。

成長した、と思ってからの成長

──今抱えている個人的な悩みなどはあったりしますか?

M

悩みというか、最近気になってるところなんですけど。 思い返してみると、僕ってずっと営業時代に蓄積してきた「あんな話あったなあ」っていう経験をアイデアとして出し続けてる状態なんですよ。 だから「あれ? そういえば最近って新しくインプットしてることってないかも…」って気付いて。

N

インプットかあ。なるほどなあ。 WEBに情報を落とし込むという形で弾を出し続けてると、どんどん残弾数がなくなっていく。 でも常に弾は補充しておきたい。そうするには時間が足りないし…っていうジレンマかな。

M

そうそうそう。からっぽの状態は避けたいんですよね。ってなったときに、じゃあどうすればいいんだろうって…。

N

ここまでの話を聞いてると、Mくんって「インプットしよう!」っていうスタンスでおるより 「何かアウトプットせなあかん!」って状況に置かれる方が、 それに応えるために自然とアイデアを出す状態にシフトしていくんちゃうかなと思う。

M

それはそうかもしれないです。 僕、急に「何やってもいいよ」って言われると困っちゃうタイプなんですよね。ある程度縛りがある方がやりやすい。

──自分の中で課題は分かっているけど、解決するための環境が整っていないという状態でしょうか。

N

Mくんの場合は誰かに刺激を入れてもらうことで成長できそうって話やけど、 そうなるとMくんが能動的に目標設定していくことも矛盾してるような…。

M

そうなんですよねえ。 僕、今までずっとそうなんですけど、自分からやってみたいことっていうのが全然ないんですよ。 なのに、小学校とか中学校のときは学級代表やらされたりするし、大学でもゼミ長やれよとか言われたし。 僕からやりたいなんてひとことも言ってないし、むしろ面倒くさいなあと思ってるんですけどね。 もうなんか、そういう人生なんかなって思ってます。

K

Mさんになら安心して任せられる、という空気が昔から出ているんでしょうね。

就活中の学生に向けて

──では、最後に就活中の学生に向けてひとことお願いしてもいいですか?

M

おお…なんやろなあ。でもまあ、あれじゃないですか? あんまり最初っから志高くいったらアカンと思いますね。

K

他の採用サイトではなかなか聞かないメッセージ(笑)

M

だって、学生って基本何も知らんでしょ。 社会経験の上でも、年齢の上でも。 その段階でやりがいがどうの、難しく考えてもあんまり意味ないと思うんですよ。 そういうのって働きだしてから見えてくるもんやと思いますしね。

K

それは確かに。

M

なるようにしかならんと思うんですよ。 どんなに「この会社がいい!」と思って入社しても「こんなはずじゃなかったのにな」って状況は回避しようと思ってできるものやないと思うんですよね。

K

なるほど…。

M

自分がどこで何ができるかってのは、多少幅はあったとしてもある程度決まってるもんやと思う。 僕がホーザンに入ったのもそういう考えがあったからで。

──Mさんの入社の動機、気になります!

M

僕、もともと工具業界とは全く違う業界に絞って就活してて。 でもそんなすんなりいかへんから、持ち駒は減っていく。 それで大学のキャリアセンターで合同説明会を紹介してもらって。 その合説でホーザンのブースの前を通りがかって「おいで!」って呼ばれたんですよ。

K

すごい偶然。

M

そこでホーザンの説明を聞いて、トントン拍子に選考が進んで、内定出て。 で、僕は志望業界に関わらず「どんなところでも一番最初に内定が出たところに入社する」って決めてたんですよ。 一番初めに内定が出たのはホーザンだったんで、「じゃあ」って他の選考は全部辞退しましたね。

K

軽い…!

M

でもいくら選んだって、結局「あっちのほうが良かったかもなあ」ってなるじゃないですか。 色々考えてもしゃあないかなって思うんですよ。

──自分がどの会社を選ぶかというよりは、選んでもらった会社で何ができるかという感じですかね。

M

かなあと思いますね。 「落とされた」って事実と、自分の評価って全然関係ないと思うんですよ。 合わないから落とされた、それだけ。 やから就活はそういうのあんま気にせんと続けるしかないかなと思いますね。

K

内定承諾の基準は人によるでしょうけど、就活はある程度割り切って取り組んだほうがいい、ってことですよね。

M

そうそう。

K

Mさんのおっしゃること、私も入社してみて初めて分かった気がします。 会社にもよるでしょうけど、選考においてはダメ出しをするというより 「この子はうちの会社で快適に働けるかな」って、そういう見方のところが多いんじゃないかなとは思いますね。

M

それでいうと、大企業って社員の誰とも会えへんまま落とされたりするのが普通。 WEBテスト受けて、点数悪いから落ちて、あとは適性テスト受けて、なんか合わへんから落ちて。 「この人ら俺の何を見てんねん!」っていう。本当、気にしなくていいですよ。

K

私は全部まともにショック受けてました! その考え方、就活してた時の自分に伝えたいです!

Mさんは営業に配属されていた頃から、取引先への訪問に限らず、幅広い業務に携わっていたことが分かります。
入社前からの「頼られがち」で「来るもの拒まず」なスタイルを維持したまま、結果的に静電気対策の案件については何でもできる、という状態ができました。
「初めに内定をもらったから」ホーザンへの入社を決めたというMさんですが、そこでできることを模索していくこともまた、仕事の醍醐味と言えるのではないでしょうか。